子どもの教育方針で揉めていませんか?心理士が対処法を徹底解説

夫婦はもちろん、その上の世代も含めて、家族内で教育方針が異なることは、珍しいことではないですよね。

教育方針が異なること自体は悪いことではないのですが、その状態をいかに乗り越えるのかに苦心されている方は多いと思います。

そこで今回は、家族内での教育方針の違いについての疑問やお悩みについて、心理士がQ&A形式で答えていきます。

この記事を書いた専門家

杉野

杉野 亮介


公認心理師、臨床心理士

教育支援センター、スクールカウンセラーとして教育分野で不登校支援等に携わった後、児童福祉施設で心理士として20年間以上従事。児童虐待を受けた子どもや発達凸凹のある子どもたちへの心理的支援、生活のケアを行う。

子育てにおいて、何かを決定したり選択しなければならないという場面は山ほどあります。

現代の情報化社会では、インターネット等を活用すれば多様な情報にたどり着くことはできますが、【最終的にどの情報を活用して、どう選択していくのか】ということについては家族が決めなければいけません。

情報がたくさんあるが故に悩ましいという経験は、多くの方がされているでしょう。

どのような選択肢を選択していくかについては、夫婦それぞれが自身が育ってきた経験を参考にしたり、その上の世代の方がご自身達の子育ての経験を参考にされたりするでしょう。

そして、当たり前ですが、関係する人が多ければ多いほど、その考え方は異なり、簡単に一致しなくなります。

初めに確認しておきたいのは、教育方針が異なることは、悪いことではないということです。

多様な考えがあるということは、そこには多様な視点があり、一人では気づくことができなかった視点に巡り合うことができるからです。

しかし、それらをすり合わせていく作業はとても大変なので、「ここは自分が我慢しておこう」という方も出てきて、一見波風立たずに決まることもあります。

ただ、誰かが我慢したり、言いたいことを言わずに決定したことは、後からひずみが生じてくることがあります。

そして「実はあの時、こう思っていたのに」と言いだしてしまうと、「なぜ、あの時に言わなかった?」「言えるわけないでしょ」という感じに、トラブルになったりします。

家族内で子どもの教育方針について意見が異なった時、その状態を前向きに捉え、子どものためにより良い選択をするチャンスであるという考え方を家族それぞれが持っていること自体が、とても大切です。


回答:子どもと親は異なる存在であること、親の意見にはバイアスがあることを認識しましょう


進学は、家族内での教育方針の違いが表れやすい場面です。

「私はどうしても、この学校に子どもを行かせたいんです」という思いを持っておられる保護者の方とお話しする機会はよくあります。

お話しを聞いていくと「私も通っていて、とてもよかったから」という理由か、「私がそこを目指していたのに、行けなかったので、子どもには行かせたい」という理由が出てくると、少し心配になります。

これらは、一見相反しているように見えますが、よく似ていて、一度立ち止まって考えなおしていただく必要あると思います。

その理由は以下の通りです。

まず、子どもと親、あるいは祖父母は、血縁関係があってもなくても、異なった存在であるということを自覚しておく必要があります。

親子であっても性格が異なったりしますので、親にとって向いているものでも、子どもには不向きなこともありますし、その逆もまた然りです。

自分にとって、「とても良かった」とか「憧れた」ということは参考意見に留めておくべきです。

また、自分の叶えられなかった思いを子どもに託すという形もお勧めはできません。

親は親、子どもは子どもの人生を歩むべきです。

次に、「行かせたい」という気持ちは親のバイアスがかかっています。

人間の過去の記憶の意味合いはその人の現状に左右されるということと、親は他の学校を経験していないからです。

「人間の過去の記憶の意味合いはその人の現状に左右される」というのは、現状にある程度満足されている方であれば、無意識のうちに、自身の経験や過去を肯定的に捉えていることがありますし、一方で、現状に不満が強い方は、自身の経験や過去を否定的に捉えがちです。

あくまでも記憶に過ぎないので、「あの学校に行って良かった」と思っている方も実際には学校での生活で嫌なこともあったけれど、いつの間にか良い思い出だけが残っている可能性もあります。

(のど元過ぎれば…という体験は誰しも持っていることだと思います。)

そして、その保護者の方は他の学校を経験していないという点については、お子さんにとってもっと良い学校があるかもしれないのです。

確かに、自分の通っていた学校に子どもを通わせたいという方が言う通り、確かにその学校はとても良い学校なのかもしれません。

しかし、自分が憧れた学校に子どもを通わせたいという方であれば、その方はその学校に通っていたわけではないので、その学校の状況を外から眺めているに過ぎないと言えます。

もちろん、親世代の状況と子ども世代では学校や、学校を取り巻く環境も変化していることも頭に入れておく必要があります。

親、あるいは家族として、「こうして欲しいと思っている」ということを言語化することはとても大切です。

しかし、子どもの思いをないがしろにして親やその他の家族の思いだけで先行してしまうのは良くないです。

親と子は異なる存在であるということを意識しておく必要があることを1点目でお伝えしましたが、赤の他人であれば、「人ぞれぞれ向き不向きがあるから」ということをすんなりと理解できる方でも、いざ家族となれば、どうしても自分と子どもに対して「人それぞれ」と思えないことがあるということを自覚しておきましょう。

親子だけでは「人それぞれ」と思えない方でも、自分のパートナーや親や親戚との意見が異なることで、自分の思い優先になってしまっていると気付かれることがあります。

だからこそ、教育方針の違いが明らかになるときがチャンスであると言えます。

誰か一人の強い思いだけで突っ走ってしまうことを予防できるからです。


回答:「世代間境界」を明確にしましょう


子育てにおいて重要なことの一つとして、「世代間境界」を明確にするということがあります。

例えば、母親が父親についての愚痴を子どもに言うとします。

この状況は親世代と子ども世代の境界が緩くなってしまっていて、家族にとって良い状態とは言えません。

母親は、その愚痴を父親に直接的に伝え、親世代の中で問題の解決を図るべきです。

この「世代間境界」ということを祖父母との関係性の中で考えると、祖父母が子どもの両親に子育てのことについて口出しをすることは望ましいとは思えませんし、両親についての愚痴や過去の失敗などを孫に言うこともよくないです。

祖父母の意向にそって両親を動かそうとする現状は、不適切な状況であるという自覚が必要です。

ただ、祖父母世代をないがしろにして良いというわけではありません。

子育てや家族についての意向をきちんと表明してもらった上で、「意見はとてもありがたいけど、子育てにおいては最終的には自分たちに決めさせてほしい」と伝えるのが望ましいです。

選択肢は提示してほしいけれど、決定権はないということです。

祖父母世代から考えると、自身の子どもや孫に嫌われたくないから、何も言わない、手出しをしない、ということは良くありません。

子育てにおいて、短時間でも子どもを預かってくれたり、親とは別の視点から話をしてくれるなど、祖父母が持っている力を活用できるかどうかで、家族の子育ての負担はぐっと変わります。

「大変だったら手伝おうか?」「良かったら援助できるけど」と手を差し伸べてもらうことができる形にしておいて、それを活用するかどうかは下の世代に任せるのが良いと思います。


回答:子どもに任せながらも、危険なことには介入しましょう


教育方針の一つとして「自由に育てる」というものがあると思います。

ある程度厳しくしつけた方が良いのか、自由に育てた方が良いのか、ということについて悩まれる方が多くいます。

方針の違いとまではいかなくても、「そんなに厳しくしなくても」あるいは「もっと厳しく言ってくれないと」という思いをパートナーに対して抱かれたことがあるかもしれません。

「うちは自由に育てているんです」という家庭でも、自由に伸び伸び育っていて、その子がいれば周りも伸び伸び遊べるような子もいれば、本人は自由にしているかもしれないけれど周囲は困っているような子もいます。

大切なのは、家族が「自由に育てる」と「放任」との違いを理解できているかどうかだと思います。

「自由に育てる」というのは、私なりに考えると、本人はもちろん周囲の「自由」を認めて尊重していく育て方だと思います。

一方で、「放任」とは、親が適切に介入せず、不適切な状況になっても「子どもの自由」という名の下に、その子どもが好き勝手やっているだけという状況です。

例えば、家族で公園に遊びに来たとします。

「じゃあ、好きに遊んでおいで」と言って、子どもが危険なことをしたり、ルールを守らなかったり、他の子をいじめていても、何も介入しないのは「放任」です。

「自由」に育てるというのは、どの遊具でどう遊ぶかは子どもに任せつつも、危険なことをしそうになったら「こんな危険があるけど?」と予告した上で最終的な判断は子どもに任せたり、他の子の自由を侵害している場合にはきちんと介入する育て方だと思います。

はじめにお伝えしたとおり、家族内で教育方針の違いが明らかになることは悪いことでありません。

その状況はピンチではなく、チャンスなんだと希望を持つことが大切です。

そのチャンスを活かすための方法は極めてシンプルで、話題の中心にはその子どもを置くこと

中心に子どもがいて、大人が円状に子どもを囲み、大人が子どもにそれぞれ話しかけ、自分はどう思っているかを伝えていくイメージです。

もちろん、大人同士でも話し合うことは必要ですし、大人の中で意見が統一できれば良いのですが、それでも、最終的には子どもが決めていくという形が望ましいです。

中心の位置に特定の大人(意見の主張が強い人など)が入ってしまうとピンチです。

その人がどれだけ「子どものため」と言っても、一人の大人が周囲に自分の意見を押し付け、子どもはその他大勢のうちの一人、あるいはその周囲にすら入ることができていない状況になっていることが多いと思います。

そのような状態が、家族の関係性を崩してしまうこともあります。

家族内で教育方針の違いが明確になった場合には、家族それぞれが自分の意見を表明できているかどうかに気を配ってみてください。