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「Gifted」(ギフテッド)ということばについて〜ギフテッドへの誤解を超えて〜

「ギフテッド」という言葉は、最近耳にされることが多いと思います。

「ギフテッド」は英語で”GIfted”で、直訳すると「神から与えられた」「贈られた」などの意味を持ちます。

世の中では、「天才」や「高IQ」といったイメージを持たれている人たちのことを指す使われ方が多いでしょう。

しかし、この「天才」というイメージがフォーカスされて、「ギフテッド」という言葉が一人歩きしている場面が多いのも事実です。

本記事では、ギフテッドに関する一般的な誤解を超え、「ギフテッド」な子どもたち「ギフテッド・チルドレン」の多くの側面に光を当て、どのように支援できるかを考えます。

ギフテッド特集

まず、一般的に使用されている言葉の意味について以下に説明します。


ギフテッドな子どもたちは、一般的には普通の教育環境では満たされないほどの高い学習能力を持つ子どもたちを指します。

これには一般的な知能の高さだけでなく、創造的、芸術的、リーダーシップの能力も含まれることがあります。

多くの定義で、ギフテッドな子どもたちは同年代の中で上位2〜5%に位置づけられる知能または特定の学術的才能を持っているとされます。


タレンテッドな子どもたちは、特定の分野(音楽、スポーツ、芸術など)で卓越した能力を示す子どもたちを指します。

学問的な能力だけではなく、特定の技術や創造性を要する活動において顕著な才能を持っている場合に用いられます。

タレンテッドな能力は、IQテストなどで表せないこともあり、多くは彼らが創るアート活動や作品、身体活動などを観察して判断されます。


主な違いは、ギフテッドが一般的な学習能力や知能の高さに関連しているのに対し、タレンテッドは特定の分野での特別な技術や才能に焦点を当てている点です。

ギフテッドな子どもは広範な知的能力が高いことが認められるのに対し、タレンテッドな子どもは特定の才能が際立っています。

あえて違いを理解する目的で分野を区別するなら、”STEM分野か芸術分野か”、という言い方がシンプルかもしれません。

しかし、現代の多くの教育環境ではこれらの用語をほぼ同義語として扱っていますし、多くの教育プログラムや文献では「ギフテッド」を広範囲に使用し、特別な教育ニーズを持つ子どもたちを包括的に指すことが多いです。

プログラムや政策によっては、「ギフテッド」という用語が総合的な才能を持つ子どもたち全体を指すために使われることもあります。

そのため、これらの言葉を分けて考える必要はなく、本サイトでは「ギフテッド」という言葉で広く才能ある子どもたちを総称して理解していただいて特に問題はありません。

冒頭でもお伝えしたように、近年、「ギフテッド」という言葉が多く使われる場面が増えたと感じます。

「天才」といったイメージを持たれがちで、セレクティブな印象を持つ方も少なくないと思います。(イギリスでは、ギフテッド教育を推進していた時期があったのですが、「エリート教育はいかがなものか」という声もあり、国の政策としてギフテッド教育を中断したという背景もあります)

ただ、「ギフテッド・チルドレン」と呼ばれるような子どもたちは、その特性がゆえに日常生活で困りごとを抱えることが多いのです。

ギフテッド・チルドレンは、一般的にIQが120〜130以上であるなど高知能であることが多いのですが、社会化が周りのペースに馴染まない場合があることもわかっています。

これが、ギフテッド・チルドレンの理解すべき側面の一つであり、困りごとを抱える要因の「非同期発達」という特性です。

非同期発達とは、知的能力が高い一方で、感情的・社会的成熟が同じ年齢の子どもたちと同等のペースで進まない状況を指します。

この非同期性によって、学校で孤独感や無気力感を抱えて過ごしているケースも少なくはないのです。

というのも、学校の授業では知的に満足できない上に、友達とも話が合わないという状況だからです。

ギフテッド教育先進国と言われるアメリカでは、教育法の中で以下のような定義をしています。

「才能児」とは、知的、創造的、芸術的分野、シーダーシップ適正、あるいは特定の学問分野で高い達成存在能力を示す児童生徒であり、通常は学校で提供されない支援や活動を要する。

The Federal Elementary and Secondary Education Act, 2002

この言葉から、アメリカではギフテッドの教育は、学校での支援や活動にそもそも期待も依存もしていないことが見てとれます。

日本でも、本格的に文部科学省が公教育の在り方を見直していて、2022年から「特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議」が設置されました。

この長〜い会議名からも気づくと思いますが、文部科学省では「ギフテッド」ということばを使用していません。
(「特定分野に特異な才能のある児童生徒」が「ギフテッド」に対応すると推測します。)

「ギフテッド」という用語に関して、文科省は上記サイト資料の中で以下の注釈をしています。

近年報道等においても頻繁に用いられるようになった「ギフテッド」という用語については、英語の gifted の本来の意味で才能や才能のある児童生徒を広く表すのではなく、突出した才能に限定して用いられる場合や、特異な才能と学習上、生活上の困難を併せ 有する児童生徒に限定して用いられる場合などがあり、対象となる児童生徒のイメージが論者により異なるため、本有識者会議においては使用しない。 なお、このような用語については、発信の仕方や受け止め方によっては誤解や偏見に つながる恐れがあるのではないかとの意見も寄せられており、文部科学省において上記 考え方を丁寧に説明することが求められる。

特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議について>審議のまとめ~多様性を認め合う個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実の一環として~(PDF:602KB)P1

文部科学省が懸念している通り、冒頭でお伝えしたように、「ギフテッド」ということばが「天才」や「高知能」などの一定のラベリングにつながっていることは事実だと思います。

たとえ、子どもたちの才能や特異性を理解できたとしても、その才能を伸ばすことに偏りすぎないようバランスをとることも大切です。

「ギフテッドだから」という解釈によって、その子の持つ本当の個性や才能が片づけられてしまう可能性もあるため、まずは、子どもの純粋な個性は何か向き合うことが大前提です。

その上で、ギフテッドの特性がある場合には、困りごとを理解するためにも先に説明したような「非同期発達」の理解や環境の調整などに取り組むことが良いでしょう。

「ギフテッド」であっても、その子自身が本当に”特別な教育”を望んでいるのか、またどのような程度で取り組ませるのが適切なのか、プレッシャーになっていないか、子どもの成長に合わせて柔軟なものであるか等をよく考察しながら、子どもが何を望んでいるのかに寄り添い、選択肢を与えていくことが大切です。

ギフテッドに関する理解を深めることは、子どもたちの多様な才能が花開き、世界にその才能を活かしてもらうために不可欠です。

ギフテッドの特性を多面的に理解することで、異なる才能や特性を持つすべての子どもたちが、それぞれに合った方法で成長し、社会に出るための準備をしていけると思います。

「Gifted」(ギフテッド)は、「才能に溢れた」という意味も持ちます。

子どもたちはみんな「ギフテッド」であり、それぞれの子どもたちがそれぞれの特性を生かして活躍できるユニークな存在のはずです。

「ギフテッド」やそれに関する定義によって偏見や誤解につながる可能性を案じるよりは、異質なものを受け入れる心を育めるカリキュラムを当事者以外にも並行して浸透させていく必要性もあるのではないかと思います。

参考文献

ギフテッド特集