挫折

失敗も挫折も人生を送る上で不可避なことですが、その体験をどう活かすかということが大切なことです。

特に、子どもの場合はその特性上、挫折ということを考える時にある程度の配慮が必要と思われます。

子どもの挫折体験を実りあるものとするために、大人は何をしてあげるのかが良いのか等について伝えていきたいと思います。

なお、人生において「失敗」をすることにどんな意味があるのか、その失敗から立ち直る子どもを保護者はどう支えれば良いのかについては、以下の記事がありますので、そちらも是非お読みください。

この記事を書いた専門家

杉野

杉野 亮介


公認心理師、臨床心理士

教育支援センター、スクールカウンセラーとして教育分野で不登校支援等に携わった後、児童福祉施設で心理士として20年間以上従事。児童虐待を受けた子どもや発達凸凹のある子どもたちへの心理的支援、生活のケアを行う。


まず、この記事で扱う、「挫折」について定義しておきます。

この記事では、「挫折」とは、「一定期間をかけて頑張って挑戦したけれど、その挑戦は失敗に終わってしまい、ネガティブな感情が引き起こされた体験」とします。


挫折を体験することに意義があるのは間違いありません。

就職活動などでも、「あなたの人生における挫折体験は?」という質問がよく問われるそうです。それほど、挫折体験の意義は周知されていると言えるでしょう。

挫折を体験する意義について、子育て支援の現場で私が感じるのは、その体験を通して、自分を見つめ直したり、自分を知ることができるというところです。

挫折というのは体験ですので、その出来事、つまり自分の失敗とある程度の期間向き合わなければいけません。

これは本人にも、それを見ている周りの人間にもなかなか辛い時間です。

しかし、この時間を過ごすことで、子ども達は、それまでよりも、自分という存在を意識します。

失敗を経験していますので、多くの子どもは、初めは「自分はこんなことは苦手だ」「自分はここが良くない」とマイナス面に目を向けます。

挫折

それまでも、保護者やサポートしている大人からは、同じようなことは言われているのですが、その言葉が実感を伴ってきます。

人間、うまく行っているときはなかなか自分を顧みることはありませんし、子どもであれば尚更です。

うまくいかない自分と向き合うということは、挫折体験特有のものでしょう。

例えば、こんなことがありました。

ただ、残念ながら、こんなにうまくいかないこともあります。

バイトに挑戦したけれど、うまくいかずに、バイトはもちろん学校もやめてしまって、引きこもってしまうということだってあります。

全ての挫折体験が成功裏に終わるわけではありません。

大人が子どもにしてしまう話の一つとして、自分が挫折体験からどう立ち直ったのかというものがあります(職場の先輩が後輩にもよく語っていますね)。

確かに、その経験を今語ることができる人にとっては、その体験は実りあるものだったと言えるでしょう。

一方で、挫折体験をした上で、何らかの傷つきをして、それをまだ言葉にできずに抱えている人や乗り越えられていないと感じる人もたくさんいらっしゃいます。

色々な人の悩みをお聞きする仕事をしていると、挫折体験からまだ這い上がれずに、引きこもっていたり、人生を諦めてしまったような態度を取っている人たちにも出会います。

挫折

こういう人たちもいつかは回復することを願って、これは回復過程において必要なことだと専門家としての頭では考えつつ、その人自身や周囲の方の気持ちを思うと「この体験は辛かっただろうな。無かったことになれば良いのに」と考えてしまったりして、「挫折体験は、人間の成長に欠かせないもの」とは簡単に割り切れない気持ちになります。

人生において全く失敗がないということはありえませんし、自分の意図通りに人生が展開することはありませんので、挫折体験は不可避と言えるでしょう。それは子どもも例外ではありません。

しかし、大人と子どもとの違いは理解しておくことが非常に重要だと思います。

個人差はありますが、子どもという存在は、成長途上で完成されておらず、良くも悪くもやわらかく傷つきやすい心をもっています(もちろん大人にだってそういう心を持っていらっしゃる方はいますが)。

そのため、挫折体験が子どもに与える影響について、より慎重に考えてあげる必要があると言えるでしょう。

そこで以下では、子どもが挫折体験から何かを学び、その体験を実りあるものにするためには何が必要なのか、子どもの挫折体験からのダメージをやわらげていくためには何が必要なのか、について考えていきたいと思います。

私は、児童虐待を受け、自分が望むような人生を歩んでくることができなかった子どもたちと接することがよくあります。

その子ども達は、保護された当初は、向上心がなく、無気力で何事にも興味が持てず、失敗しても「別にいい」とスルーしたりして、体験から学ぶことを放棄しているように見えます。

物事から距離を取って、頭も心も動かさない、という生き方は、この子たちが不適切な環境を生き抜くためには必要だったのですが、体験から学ぶという視点で考えると不適切な方法を身につけてしまっていると言えます。

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体験を積み重ねても、なかなか知識や経験が積み重ならないので、学力が上がらなかったり、同じ失敗を繰り返すなど、日々苦労しています。

この子たちの諦めや絶望の根源には、自分の意図とは関係なく大人に振り回され、自分の力ではどうにも対応できないという無力感があるように感じます。

この段階では、何を聞いても「どうでもいい」「知らない」「訳分からない」という言葉ばかりが返ってくるのが印象的です。

そんな子どもたちは、成功体験や自分が楽しいなとか面白いなという体験、そして何よりも自己決定する体験を重ねることで、少しずつ回復していきます。

さて、こういう子どもたちの成長や回復のプロセスに付き合っていると、自分の意思をもって物事に関わっていくということの重要性を感じます。

何らかの挑戦を行う際には、その挑戦をするか否かということに関しては、その子どもの意思を尊重し、子どもが自分で「やりたい」「やる」と自己決定するということが、その体験を意義あるものにするか否かということにおいて、非常に大切です。

子どもの意思が伴った挑戦であれば、たとえそれが失敗に終わり、挫折体験となったとしても、子どもはその体験から多くのことを学ぶことができるのです。

挫折

一方で、大人が良かれと思って用意した体験であっても、子どもからしたら「やらされた」となれば、そこから何かを学ぶことは難しいです。

その体験が失敗に終わり、挫折として体験されたとき、子どもはただ傷つき、一時的に引きこもってしまうこともあります。

挫折体験を実りのあるものにし、そこから子どもが回復できるようにするために、大人に求められるのは、その体験からのダメージをいかにやわらげるというところでしょう。

この辺りは「失敗」や「レジリエンス」の記事と重なるところもありますので、そちらも参考になると思います。


私が思う、最も大切なことは「安心感」を育むということです。

子どもが失敗を体験するわけなので、「失敗しても大丈夫」という感覚を子どもの中に育てておくことが必要です。

これは親子の間の安心感と言えます。

「私は大丈夫」「何があっても支えてもらえる」という感覚を子どもが持てていれば良いでしょう。

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何ができるか、できないかという結果ではなく、「あなたはあなたでいいんだよ」という存在を全肯定してあげるような態度の積み重ねが、その安心感を育んでいきます。

もちろん親子でなくとも、大人と子どもとの間で信頼関係が構築されれば、子どものその関係性の中に安心感を感じることができます。


次に、大人ができることは、その挑戦が成功に終わった時、失敗に終わった時、それぞれの見通しについて一緒に考えてあげることです。

成功した時、失敗した時の、それぞれのメリットとデメリットを子どもと一緒に考えてあげることで、子どもがその挑戦を自分で決めたという感覚も強くなります。

そう考えると、最もやってはいけないことは、子どもの退路や逃げ道を完全にふさいでしまうことです。

「これが失敗したら、あなたの居場所は無い」みたいな声かけで発破をかけてしまう人もいるのですが、これでは失敗への不安を助長するだけで、子どもは頑張ろうとも思えませんし、失敗した時のダメージが大きすぎて、そこから何かを学ぶには時間がたくさんかかってしまうか、現実を直視することを拒否してしまうでしょう。

挫折

年齢や発達段階にもよりますが、大人が子どもに寄り添ってあげることで、挫折体験は意義あるものになります。

大人が子どもに「やらせる」わけでもなく、あくまでも大人と子どもが同じ目線に立って、成功したら喜び、失敗したら悲しみ、一緒に歩むことができれば、その体験は実りあるものとなります

私は子どもにとっての挫折体験の意義については、慎重な立場を取っています。

「失敗は成功の母」であることは間違いないのですが、特に子どもにおいては、その失敗を一緒に体験して支えて乗り越えてくれる存在が必要です。

失敗や挫折をただ経験すれば良いのではなく、その体験の仕方が大切であるということが少しでも伝われば嬉しいです。