「自己肯定感」というワードに、そろそろ飽きてきた。
今回は、そんな話を、小児科医かつ二児の母がします。
え?「自己肯定感」大事に決まってるでしょ?「自己肯定感」を育むために、日々の声かけなど、いっぱい頑張ってます!
そんな親御さんにこそ、読んでいただきたければと思います。
この記事を書いた専門家
白井 沙良子
医師、日本小児科学会専門医
都内クリニックでは、乳幼児健診や育児相談も担当。医療記事執筆や企業セミナーなどを通じて「エビデンスに基づいた育児情報」の発信を行う。
書店にあふれる「自己肯定感」の書籍
書店の子育てコーナー、自己啓発コーナーにあふれる「自己肯定感」の嵐。
保育園の入園時に「この子には、自己肯定感をとことん育んでもらいたいと思っているんです!園の先生にも、自己肯定感を意識して関わっていただきたいです!」と、保育園の先生におっしゃる親御さんも少なくないとか。
一方で、「自己肯定感」は「小1の壁」の一つでもあります。
幼稚園や保育園ではひたすら、好きなことに徹底して打ち込める時間や環境があったのに、小学校に入学した途端、時間で決められたスケジュールに、毎日の宿題や持ち物。
一気にタスクが増えて、先生や親に注意されることも増え、自己肯定感が揺らぐ時期ともいわれています。
かくいう私も(1年に200冊以上は読む「読書フリーク」なのもあり)、自己肯定感に関する書籍は、数十冊あまり読んできました。
そして、小児科医として、二児の母として、「自己肯定感」という概念に共感する点も、十分あります。
だからこそあえて「自己肯定感って、本当に重要で必要なものなのか」を切り込んでいきます。
「自己肯定感」というモノサシで、子どもを測っていることに気づけるか
皆さんご存知のこの「自己肯定感」をざっくり表現すると、「IQや学力などの認知能力ではない、非認知能力の一つ」です。
「自己肯定感が高い子」は、自分の長所・短所を丸ごと受け入れ、自分に存在価値を感じられている。
「トライしたらできる」「自分は成長できる」というマインドセットがある。
よってストレスや逆境にも強く、それゆえ「自己肯定感」は「将来の幸せの指標」ともいわれています。
…と聞くと、自己肯定感はさぞかし重要で、むしろ低いと人生お先真っ暗!という気がしてきますよね。
たしかに数々の研究でも、IQや学力は将来の幸福度には直接関係ないことは示されており、IQ一辺倒で子どもを評価しない、という視点は素敵だと感じます。
一方で、そのかわり「自己肯定感」という新しいモノサシで、子どもを評価することにもつながっていることは、大人がよく自覚する必要があると思います。
先日、とある子育てセミナーに参加した時の話です。
そこで、保護者から「子どもが新しい問題を見ると、”むずかしそう” ”いやだ!”などと言います。チャレンジしない姿勢が、心配です。これは普通のことですか?」という相談がありました。
直接「自己肯定感」というワードは出てこないものの、この保護者が「チャレンジする=自己肯定感がある」だから「チャレンジしようとしない=自己肯定感が低い」と、子どもを評価していることが伺えました。
さらに「この子の、チャレンジしない程度=自己肯定感の程度は “普通” のレベルなのか」という不安を親が抱いています。
この親御さんを否定する気は全く無いですし、私も一人の親として、同じ状況だったら、同じようなことを思うでしょう。
でも目の前の問題に対して「難しい」と思った、そのことを素直に「むずかしい」と表現できるのは、むしろ良いことではないでしょうか。
また「チャレンジしない」とありますが、問題の目の前に座るという、ある意味、最大のチャレンジはすでにクリアしているわけですよね。
そして、そもそも「チャレンジしない程度が、”普通”のレベルかどうか」という基準は、誰に聞いてもわからないものですし、むしろ”普通”かどうかを知って、どうしたいのでしょうか。
たった1つの質問でしたが、「自己肯定感」というキーワードを巡って、私の頭の中はぐるぐる色んなことを考えました。
私がこの相談内容から学んだことは「大人が”自己肯定感”というモノサシで子どもを測ろうとすると、子どもがダメに見えてくることがある」ということ。
そして「親が”自己肯定感”にとらわれすぎると、子どもの状態をありのままに把握できないことがある」ということ。
これは逆に、子どもの自己肯定感を削ぐような対応を、親が取ってしまっているのではないかな、という気さえしてきたのです。
親が持つべきは「目の前の子どもを、最大限に評価できる」モノサシ
繰り返しますが、自己肯定感という概念は、確実に現代の子育てにおけるメインキーワードであり、時代に即した視点を含むことには、同感します。
一方で、目の前の我が子を評価するモノサシは「自己肯定感」だけにこだわらなくても良いのではないでしょうか。
(子どもを「評価する」という表現も、個人的には不本意ですが、わかりやすいためにあえてこの表現を使います。)
新しいものにチャンレジしない子でも、毎日決まったルーチーンワークや、計画が立てやすい・先行きが見通しやすい課題には、根気強く取り組む。難しいものは「難しい」と素直に言える。気持ちを切り替えて、さっと次の課題に取り組むことができる。
こんな子は、一人の親が持つ「自己肯定感」というモノサシだけで測るといまいちかもしれません。
が、「リスクを察知し、慎重に行動できる」「自分の得意なものに、自分のリソースを集中できる」「自分の気持ちを、素直に他人に伝えられる」「気持ちの切り替えが早い」など、よくみれば素晴らしい才能がたくさん見えてきます。
そして、なんといっても「自己肯定感」って、フワッとしていますよね。
IQのように点数で測れない、そこが魅力ではありますが、一方で、大人によって「子どもに期待する自己肯定感の内容」が異なるなど、変動的な要素が大きいように感じます。
保護者が持つ「自己肯定感」のイメージと、園や学校の先生が持つイメージとが、完全にマッチすることも、そもそも無いと思うのです。
いずれにせよ、大人にとって都合の良い「自己肯定感」のモノサシだけで子どもを測ると、目の前の子どもの能力に気付けなかったり、アンマッチな評価をしてしまうことにもつながります。
学校など、様々な規則がある組織では、どうしても子どもは決まり切った1つのモノサシで評価されがちです。
せめて親は「自己肯定感」一辺倒ではなく、「目の前の我が子を最大限に評価するには、どんなモノサシにしたらよいだろう」と考えながら日々を重ねていくことが大事なのではないでしょうか。
このニュアンスは、教育ジャーナリスト・おおたとしまささんの書籍「正解がない時代の親たちへ」にも記載されており、一小児科医として、一母親として強く共感します。
「自己肯定感」というメジャーな基準を疑ってみることから、オリジナルな子育てが始まります。
そうした、親のクリティカルかつユニークな姿勢こそが、子どもにとって刺激的で、成長の糧になるのではないでしょうか。
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