競争させることは悪いこと?〜挑戦できる心を育むために〜

一昔前と比べると、運動会の徒競争等に順位をつけないところが増えているように思います。

しかし、これは、子どもの成長発達において、競争というものが悪いからではありません。

子どもが大人に成長していく過程では、スポーツの大会があったり、受験があったりして、勝ち負けであったり、優劣がつく場面を避けることは不可能に近いと言えます。

今回は、子どもの成長発達の過程において、「競争」という機会をどう活用していけば良いのかについて、心理士の方にお話しを聞きました。

質問に答えてくれた専門家

杉野

杉野 亮介


公認心理師、臨床心理士

教育支援センター、スクールカウンセラーとして教育分野で不登校支援等に携わった後、児童福祉施設で心理士として20年間以上従事。児童虐待を受けた子どもや発達凸凹のある子どもたちへの心理的支援、生活のケアを行う。


杉野先生:

確かに、運動会の徒競争やリレーなどに順位をつけないような取組みが広がっていることをよく耳にしますし、保護者からも賛否両論あると言うことを聞きます。

私自身も親として、あるいは関係者として参加した運動会の中で、確かに「あれ?」と思うこともありました。

1つ目の場面は、徒競争で、4人ずつ子どもが走る競技でした。

いざ走ってみると、見ている人も、走った本人たちも、誰が1番で、誰が何番かはだいたい分かっています。

「やった、1番だ!」と喜んでいる子どももいれば、4番だと分かって悔し涙を浮かべている子どももいました。

そこでは、順位はつけないことになっているので、1番はどこに並ぶとかはありません。

それでも、子どもたちは自分の順位を気にして、その話をずっとしながら、座っていました。

大人としては、順位をつけてはいないのですが、子ども達の中では明確に誰が何番目だったということは強く残っているようでしたし、単に順位が伏せられているだけという印象を受けました。

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ーそれは興味深いですね。表向きは順位をつけない形でも、子どもたちは自分たちで順位を認識している、と。

杉野先生:

そうです。逆に、はっきりと順位をつける場面もありました。

今度は逆に、順位を明確につけるものです。4チームでリレーをして1位を競って、表彰式となると、1位のチームが前に呼ばれて表彰されるのみでした。

勝者1チームと敗者3チームという構図が明確になっている様子は、なかなか残酷なもので、見ている大人も心が痛むものでしたね。

勝ちと負け、ここまで明確に差をつける必要があるのかなという疑問を抱きました。

競争

ーなるほど。順位をつけない場合でも、順位をつけるにしても子どもたちが違和感を抱かない形でもっと工夫はできたかもしれませんね。子どもたちに対して競争がもたらす影響を整理したいのですが、いかがでしょうか?

杉野先生:

競争自体が悪いわけではありません。

競争という場面がもたらす結果を、子どもたちがどう受け止めて、それを次にどう活かすということが大切であり、大人はそこを意識して、子どもに関わることが必要です。

先ほどの場面でも、大人の関わり方や配慮次第で、競争の場面をもっと有意義なものにすることができたと思います。

人生には必ず勝敗や順位がつく場面が訪れますよね。ですから、競争の経験は子どもにとって重要です。

ただ、その競争が子どもにどんな影響を与えるか、どのように受け止めるかが大切なのです。

例えば、走るのが得意な子は運動会で輝くかもしれませんが、勉強が得意な子や音楽が得意な子にも、それぞれ評価される場面を大人が用意してあげることが大事です。

ーつまり、競争は多様な評価の場があるべきだということですね。運動だけではなく、勉強や音楽、その他の活動にも焦点を当てるべきだと。

杉野先生:

そうです。走るのが速い子が運動会で活躍できることはとても良いことです。

徒競争で1番になり、「僕は1番だったよ」と言えることが自信にもつながるでしょう。

しかし、一方で、人生において、その人の評価は、走りの速さだけで決まるわけではありません。

運動会の次の日からは、勉強であったり、スポーツであったりと他の場面で一緒に頑張ったり、競ったりして、また順位がついたり、評価される場面が来るわけです。

そして、走りが遅いけど勉強が得意という子が、今度は勉強等の場面で活躍できれば、またそこで評価してあげれば良いですし、走るのも勉強も苦手という子どもにも活躍できる場面を設定することが大人の仕事とも言えます。

走るのが速い子は運動会で評価されて、音読が得意な子であったり、黙々と計算するのが得意な子たちもそれを発揮する場面があったり、評価される場面があれば良いのではないでしょうか。

走るのが速い子は運動会で活躍するし、楽器が得意な子は音楽会で活躍するし、ゲームが得意な子も活躍する場面がありました。

そうやって、子ども一人一人が「自分はこれで活躍できる」という場があれば、運動会の一つの競技の順位うんぬんにこだわる必要はなくなっていくのかもしれません。

競争

ー今のお話は、結果の評価についてだと思いますが、子どもの成長において、競争の結果ではなく過程を重視することが大事だとよく言われますよね?

杉野先生:

もちろんです。結果だけでなく、評価する時にはそこに至る過程に注目してください。

例えば、徒競走で最後まで頑張って走った子ども全員を「最後まで走りきってすごいね」と評価してあげる。

また、勉強でもテストの点数だけではなく、勉強に取り組んだ過程や努力を評価するべきです。

結果が伴わないこともありますが、そこに至るまでの努力は必ず子どもの成長につながります

先ほどの例にあげた2つの場面であれば、順位という結果だけではなく、最後まで頑張って走ったということに関しては全員を評価して褒めてあげることができます。

走るのが苦手という子どもに対して、「順位は関係ないよ」と言うだけではなく、「苦手なのに最後まで頑張ってすごいよ」と伝えてあげることで、例え良い結果が得られなかった子も、「これでいいんだ」「私は頑張った」と思うことができます。

勉強を例にして考えると、テストの結果だけを評価すると、勉強が苦手な子はますます勉強するのが嫌になります。

結果が100点満点のうち30点だったとしたら、70点を失ったのではなく30点を獲得したということを評価してあげたり、自分なりにテスト勉強をしたり、苦手なテストに参加してあきらめずに最後までやったことを評価してあげればよいのです。

スポーツでも勉強でも、自分が頑張ったからと言って、順位や成績などの結果が伴うとは限りません

勝負事であれば、どれだけ努力して練習してきても、相手の方が強いかもしれないし、運だって左右します。

ここで大人が結果に注目した声かけをしてしまうと、「負けたら終わり」とか「負けたら何の意味もない」という認知に陥ってしまい、結果に過度にこだわったり、自信を失ったりしてしまいます。

どれだけ頑張っても、結果が応えてくれるかはわかりませんが、積み上げてきた過程は揺るがないため、そこを大人が評価してあげることで、子どもたちは自分に対して、しっかりとした自信を持てるようになります

競争

ー過程を評価することが、結果にこだわりすぎない健全な成長を促すという考え方ですね。ところで、「褒めると子どもが満足してしまう」という声もありますが、その点についてはどう思われますか?

杉野先生:

それもよく聞く意見ですね。

ただ、私は「結果ではなく過程を評価する」ことを強調しています。

結果だけを褒めると、その結果に満足してしまうかもしれませんが、努力や過程を褒めることで、子どもはその過程をさらに伸ばそうとします

例えば、徒競走で1番になった子には、その努力を褒めれば、さらに練習を頑張ろうという気持ちが生まれるのです。

先ほどの30点のテストであれば、単に30点という結果だけを評価して褒めれば「次も30点でいいや」となることもあるでしょう。

しかし、苦手ながらテスト勉強をしたことや、あきらめずに最後まで頑張ったことを評価するということは、それらの行動が今後は伸びていく可能性があるのです。

スポーツでも同じことです。例えば、徒競争で1番になった子どもに、1番という結果だけを評価すれば、それに満足して、それ以上頑張ることはないのかもしれません。

しかし、それまでに練習を頑張っていたことや、本番も最後まで一生懸命走ったことを評価してあげれば、さらに練習を頑張ろう、次も最後まで一生懸命走ろうという方向に子どもは向いてくれるのです。

競争

ー過程を評価するということは、子どもたちが新たなモチベーションを獲得する一つのサポート方法でもあるんですね。

杉野先生:

勝った、負けた、という結果だけに一喜一憂するのは良くありませんし、できれば、結果が出るまでの過程を楽しめるようになると良いですね。

一方で、皆さんも感じておられる通り、負けるとか、うまくいかないという経験も人間が成長していくには必要なことです。

自分は何が好きで、何が得意なのかだけを見ていても、うまくいきません。

自分という存在を知るためには、何が苦手なのか、どういうことがうまくいかないのか等に気付いて、受け入れていくことは必要です。

苦手を克服することができれば、それに越したことはありませんが、克服できなくても、受け入れることができれば良いのです。

子どもに対して、できないことに注目して、苦手を克服させようと、「もっと頑張れ」「まだまだできていない」という形で発破をかけるようなアプローチを私はお勧めしません。

そういうスパルタ的なアプローチが実を結ぶことがあるかもしれませんが、そういうアプローチを取らなければもっと成長できたのかもしれませんし、いずれにせよ、一般的にはメリットよりもデメリットの方が多いと言えます。

勝負で負けを受け入れたり、自分が苦手なことを受け入れたり、勝者を讃えることができるようになるには、「私は私でいい」「今の私でも大丈夫」という自信が必要です。

これは「自他の境界」という視点です。

「自分は自分でいいねん」「あいつ、ほっとこ」と思える子は、まず周りとトラブルにならないですね。

そのためには、先ほどもお伝えしたとおり、きちんと過程を評価してあげることが必要です。

競争

ー過程に注目すると、「負け」という結果も、子どもたちの精神が発達していく大切な機会と捉えられますよね。

杉野先生:

そうなんです。

なので、勝ち負けを経験したりできる多様な活動に参加することが、子どもの心身の成長発達を促進するという観点からも望ましいです。

自己イメージを深めたり、自分に自信を持ちやすくすることにも繋がります。

スポーツで言えば、小さい頃から一つの競技だけに偏った活動をしてしまうと、神経や筋力がバランスよく発達しにくくなりますし、心理的な面からは、その活動の優劣が自分の価値だと思ってしまいやすいところがあります。

しかし、色々な活動をしていれば、一つうまくいかなくても、どこかで自分ができることや楽しいと思えることに出会える可能性も上がりますし、自分には色々な面があるということを自覚しやすくもなります


ー競争を通して成長するだけでなく、様々な経験が自己イメージを深める手助けになるということですね。一方で、競争しない選択肢もあって良い、という考えもあると思いますが、いかがでしょうか?

杉野先生:

そうですね。競争しないという選択肢があることも、頭に入れておく必要があります。

足が速くないけど走るのが好きとか、絵が上手でないけど絵を描くのが好き(そもそも絵が上手かどうかを判断する必要があるのか分かりませんが)とか、誰とも競争せずに楽しむこともできます。

そういうのもアリだなと大人が思っておくのも良いことです。

うちの子どもが保育園から帰ってきて、「~君は、僕よりも足が速い」とか「~ちゃんは、僕よりも絵が上手」と言う言葉を聞いたとき、こんな小さいのに色々と感じて考えているんだなと思うと、何ともせつなくなったという記憶があります。

子どもたちは保育園や幼稚園で集団生活をするようになれば、自分よりも速く走る子もいれば、楽器を上手に演奏できる子もいるし、虫を上手に捕まえる子もいたりして、順位とはまでは言わなくても、優劣のようなものは意識するようになります。

それは良いとか悪いではなく、人間として自然なことで、他者と競争したり、他者と自分とを比較することを完全に避けることはできないと考えても良いでしょう。

そうなった時に、「~君よりも速く走れるように頑張ろう」とか「~ちゃんよりも上手に絵が描けるようになるために、絵を習いに行こう」と競争するという選択肢があります。

これが間違っているわけではありません。

子どもがそうしたいというのであれば、サポートしてあげることも、とても良いことです。

徒競争で1番になって喜んでいる子、2番になって悔しがっている子、3番になって終わってホッとしている子、4番になって「走って楽しかった」という子。

一人一人に対して「最後まで頑張って走ったね。すごいよ」という大人の声かけがあれば、順位をつけるかどうかということは、さほど大きな問題では無いのかもしれません。

競争

いかがでしたか?

「競争」の良し悪しというテーマを通して、心理士の先生にインタビューをしてみました。

どんな体験をしても、「いい経験をしたな」と子どもが捉えることができようにサポートすることの大切さがわかりますね。

子どもたちが、「自分は自分でいい」という自信を育むヒントになれば嬉しいです。