子育てにおいて、子どもに自己選択の機会を与えることは非常に重要です。
しかし一方で、選択を子ども任せにすれば良いというものでもないですよね。
子どもに自己選択の機会を与えることがなぜ重要なのか、自己選択の場において、大人はどうサポートすれば良いのかについて述べていきたいと思います。
この記事を書いた専門家
杉野 亮介
公認心理師、臨床心理士
教育支援センター、スクールカウンセラーとして教育分野で不登校支援等に携わった後、児童福祉施設で心理士として20年間以上従事。児童虐待を受けた子どもや発達凸凹のある子どもたちへの心理的支援、生活のケアを行う。
目次
はじめに
子育て支援の現場にいると、子育てにおいて、子どもに自己選択の場を与えるということがいかに大切なことなのかについて実感します。
例えば、子どもの挫折体験についての記事でも述べましたが、何かに挑戦するということになった場合、子どもが主体的にその体験をすることを選択したのであれば、成功しようと失敗しようと、その体験から多くのことを学ぶことができます。
一方で、本人が選択したのではなく大人や周囲が決めたことであれば、この結果について、他人ごととなってしまって、その体験をその後の人生に活かすことが難しくなります。
子どもの自己選択の重要性となると、自分で決断ができる子どもが育つと短絡的に考えてしまいがちですが、そうではなく、その重要性は子どもの発達の広範囲にまたがっています。
自己選択の場を与えてもらえなかった子どもたちや、そういう子どもが大人になった人から相談を受けた経験も踏まえて、自己選択の重要性をお伝えしていきたいと思います。
自己選択の場を与えられずに育った子どもたち
「自己選択の場がない」という状況について、以下で具体的なケースをご紹介します。
いわゆる「過保護」のケース
親となれば、子どもに傷ついて欲しくない、しんどい思いをさせたくないという思いを抱くのは自然なことです。
しかし、それが行き過ぎてしまうと、親が考える「幸せな人生」を子どもに歩ませたいがゆえに、親が敷いたレールの上を子どもに走らせることになってしまいます。
受験や就職に置いて、親が考える「良い」選択肢を選ばせていきますが、そこに子どもの意向はなかなか反映されません。
もちろん、それが幸せな人生につながる方もいらっしゃいますが、多くの方は、受験で合格した学校に通い始めたり、進められた就職先で勤め始めると、違和感を抱いたり、壁に当たったりします。
自分で選択してその学校や勤め先に来た同僚が意欲的に動いているのを見ていると、自分は特に何かをやりたくてここに来たわけでもない、何か自分は間違ったことをしているのではないかと感じたりして、言葉は違えど、多くの人が、これは自分の人生ではないという感覚に襲われます。
親は自分の幸せのことを考えてこの道を選んでくれたのに自分はそれに応えることができないと罪悪感を抱く方もいれば、親が自分の人生を搾取したと怒りを感じる方もいます。
こういう方々とお話しをしていると、「私はどうした良いと思いますか?」「先生が決めてくださいよ。専門家なんでしょ」と言われることが多く、自分で何かを選択したり決断することが苦手な様子が見られます。
大人の都合に振り回されたケース
幼少期から大人の都合に振り回されて育ってきた子どもや、ひどいケースだと被虐待児なども、自己選択の場を与えられなかったケースといえます。
特に、適切なケアを受けずに育ってきた子どもの特徴の一つに、「自他の境界(boundary)の曖昧さ」が挙げられます。
大ざっぱにいえば、小さい頃から「私」として大切にされてこなかった子どもは、自分と他人との間に敷くべき境界線を確立できずに、容易に自分の私的領域に他人を入れてしまったり、逆に他者の私的領域に侵入してしまうという現象が起きます。
最も分かりやすいのは暴力で、子どもの頃から大人に暴力被害を受けてきた子どもは、自分の私的領域に侵入されて被害を受け続けているので、ここまでは自分だけの領域という感覚が持てません。
その結果、他人の物を躊躇なく使用してしまったり、他人のことに口出しをしてしまったり、対人距離が不適切だったり、という様子が、被虐待児の多くに見られます。
そして、被虐待児には、自己選択の機会がきわめて少なかったということが、「自他の境界(boundary)の曖昧さ」につながっていると、私は感じています。
「あなたは夕食は何が食べたい?」「誕生日プレゼントは何がいい?」「今度のお休みはどこに行きたい?」このようなやりとりは、一般的な家庭であれば、自然と見られるものであり、子どもが自然に自己選択の経験を積めるようになっています。
しかし、そのようなやりとりを家庭で経験していない子どもたちは、「私」という感覚が非常に薄く、自分が何をしたいのか、どんな人間なのか等について、考えることが非常に苦手です。
一方で、これは実際に子どもたちから聞いたのですが「自分のことは見えないけど、他人のことはよく見えるから」という理由もあって、他人のことにはよく口出しするし、手が出てしまうこともあります。
「自分は自分、他人は他人」という感覚を持つのが非常に難しい子どもがたくさんいます。
そういう子どもたちをケアしていくとなると、その方法論の一つが、自己選択を積み重ねていくということです。些細なことでも良いです。
おやつでも、服でも、外出時のご飯でも、何でも、まずはあなたは何が欲しいのか、どうしたいのか、ということを積み重ね、「あの子はこれが好き。あなたはこれが好き。それぞれ好きなものが違っても良いよね」ということを子ども達に体験してもらうことが非常に重要です。
私は仕事の関係上、被虐待児とほぼ毎日話をしたり、生活したりしています。
その中で、この子たちが何かを選択することがとても苦手であるという場面をよく目にします。
「何したい?」「何でもいい」、「どこに行きたい?」「どこでも」「そんなの、大人で決めてよ」と言いつつ、こちらが何かを提示すると「それは嫌だ」とのこと。嫌だと言えたことを褒めつつ、子どもの自己選択の場に付き合っています。
自己選択の経験を積むメリット
以上のように、自己選択の場を与えられずに育った子どもたちの例を見ていただければ、子育てにおける、自己選択の重要性は理解していただけると思いますが、もう少し補足したいと思います。
自己選択の経験を積み重ねると、上手に選択できるようになってきます。
それは、例えば選択肢があれば、初めは「何となくこっち」で選んだりしますが、それで失敗をしたり、後述するような大人のサポートを受けたりする中で、自分なりにそれぞれの選択肢についてメリットやデメリット等を考えるようになります。
自然と、幅広い視野や異なる複数の視点から見ることができるようになります。
これは、物事の捉え方、認知において、非常に重要な発達と言えます。
「~かもしれない。でも・・・かもしれない」と複数の視点から考えていくことは、非常に大切なことです。
「絶対に~」「必ず~」「~しかない」というよう偏った見方をするような、認知の偏りがある場合には、大人でも子どもでも不適応が起こりやすいことが分かっています。
有名なところでは、認知の偏りが気分障害につながりやすいことが分かっていますし、現場の実感としても、認知の偏りがある子はトラブルが多いように思います。
子どもの自己選択のサポートの仕方
では、具体的に、どのように自己選択の場を設けるのが良いのでしょうか。
選択肢を提示するなど範囲を設定して選べるようにする
私の実感としては、本当に些細なことから、自己選択の機会を設けることが望ましいと思います。
本人が興味がないことを選択しても、効果は薄いので、本人が興味があるものと言えば、子どもで言えば、お菓子や玩具等になってくるかなと思います。
「今日のおやつは何を食べたい?」「お菓子コーナーで1つだけ選んでいいよ」等が日常的かと思います。
発達段階や年齢にもよりますが、まずは選択肢を出してあげるのが良いかもしれません。
自由に選ぶとなると、大人が思いもよらないようなものを選んできて「これは高いからダメ」となると、子どもとしてはせっかく選んだのに否定された、何を選んだらよいか分からないとなってしまいがちです。
もう少し成長してくると、「お菓子コーナーのこの段で選んで良いよ」とか「~円までなら良いよ」と設定した範囲内で選択できるようにするのが良いでしょう。
なぜそれを選択したのかを聞く
自己選択したら、なぜそれを選択したのかを聞くのが良いと思います。
それは、選択には理由があるということが子どもにも分かるからです。
何も考えずに適当に選んでいる子が「どうしてこれにしたの?」と聞かれれば、自分でもその理由を考えるようになります。
ただ、「なんでこれにしたの?」と聞くと子どもは叱られたと感じることもあるので注意が必要です。
そして、どんな理由であれ、選択した理由を話すことができたら、「なるほど」と聞いてあげましょう。
大人側の意見も伝える
子どもが自己選択した結果について、大人としてどう思うかを伝えてあげることも、非常に大切な経験です。大人はそういう視点で考えるのかということが分かるからです。
例えば、ある時、お菓子コーナーで好きなものを一つ選んでという時に、子どもが大きなアメ(棒についている、昔ながらの形のもの)を持ってきて、「食べたことがないから食べたい」と言いました。
私としては「舐めてるうちに飽きないかな?」とか「アメを噛んだら、割れて落ちそう」と意見を伝えます。
ここで大切なことは、大人と子どもとで対等な立場で話をすることです。
よほどの理由がないのであれば、子どもが大人側の意見を却下しても良いわけで、大人の意見ばかり通るとなると、それは子どもの自己選択ではなくなってしまいます。
この場面でも「それでも、食べたい」と子どもが言うのであれば、買ってみるのも良いでしょう。
ちなみに、この時は、舐めている途中で「もう食べられない」ということになり、「もう大きいのは買わない」と子どもが言っていました。
自分で選択すれば、結果を自己責任として引き受けることもできるようになるのだと学びました。
もちろん、大人側が譲れない時には、誤魔化さずにはっきりとその理由を伝えてあげることも必要です。
子どもが猫を飼いたいと言っても、アレルギーのある家族がいれば飼うことは難しいことを伝えなければいけません。
また、子どもが大きくなってくると、欲しがるものも高価になってきますが、各家庭の経済状況によっては購入することが難しいこともありますので、それも正直に伝えても良いと私は思っています。
(家族でお金のことをどう扱うかは、また別の話になりますが、私の家では子どもたちに大まかな収入と支出状況を伝えて、我が家にとってのお金の価値を考えてもらっています。)
大人が簡単に結論を出さない
上記の「猫を飼いたい」とか「高価なものが欲しい」という場合、実現は難しいことがあります。
それでも、子どもがどうにかしたいというのであれば、どうすれば良いのかを子どもに考えてもらうことは、とても大切なことです。
猫のことをインターネットで調べる、書店で猫の飼い方の本を買う、お小遣いを貯める、節約する方法を調べて家族に協力してもらうなど、できることは色々とあるでしょう。
そういう方法をやってみると、「これは無理だな」とか「これならいけるかも」と子どもなりに結論が見えてきます。
大人が初めから結論を出すのではなく、子どもに委ねることで、子ども自身も結論に納得できるようになります。
選択したことを褒める
どんな自己選択でも、どんな結果になろうと、選択したことを褒めてあげること、評価してあげることは非常に大切です。
逆に、大人がやってはいけないことは、結果だけに注目して、批判することです。
大人でも子どもでも常に正しい選択ができる人はいません。
結果を批判してしまうと、子どもは自己選択を避けようとしてしまいます。
おわりに
お菓子コーナーにて、子どもは何度も行ったり来たりして、最終的に選んできたのが「なぜこれがお菓子コーナーにあるの?」という大きなプラモデル(いちおうガムが入っている)・・・。
私:「ちょっと、これは買えないかな」
子ども:「何でも良いって言ったのに」
私:「ごめん。これ以外で選んで」
となり、またしばらく待ちぼうけで、「まだ?」とつい急かしてしまう私です。
子どもに自己選択をさせるのがとても大切と分かっていても、現実はなかなか難しいものです。
理想通りに現実はいきませんが、「これも大切なことだから」と自分に言い聞かせたりしています。
皆さんも、頭の片隅に、自己選択の重要性を意識しながら、子どもたちと付き合っていただければと思います。